9話



 ・・・・けれども、事態はそのように進まなかった。
 武雄が家を出たからだ。
 例のメイドの存在が原因にあった。
 意外にも、彼の方が家の“しがらみ”から抜け出してしまったのだ。
 当然ながら、高野家と河田家の婚儀も、破談になってしまう。
 茉莉の周囲では、違った意味でさらにさわがしくなった。
 武雄出奔の知らせは、上流社会の間ではセンセーショナルな話題として取り上げられた。
 彼等は、身分を捨ててまで、ただ一人の女性を愛した兄を英雄扱いし、捨てられた茉莉を裏では笑った。
 あまりに騒がしいものだから、一時は大学を欠席するよう、父に言い渡される程だったのだ。
 高野の父は、武雄をなじり、珍しく河田の当主を、殴りかからんばかりに怒鳴りこんだ場面もあったらしい。
 そんな周囲をよそに、茉莉は家の中で、ひっそり嵐をやり過ごすようにして、一人で、穏やかな日々を過ごしていた。
 破談になって、ホッとするのと同時に、カッグリきていた。この相反する気持ちは不思議だった。
 それとともに、武雄には失望してしまった。
 “怒り”より、“失望”だ。
 こんな事になるなら、なぜもっと早く、彼は行動を起こさなかったのだろうか。
 最も最悪な形で事を起こした彼の行動は、結果。両家の顔に泥を塗る事になってしまった。極めて彼に似つかわしくない行為だった。
(メイドに泣きつかれたのかしら・・。)
 なんて、一人でつぶやいて、事の経緯を想像したりしたが、結局は詳細などわからない。
 分かるのは、女性一人のために、地位も名誉も捨てた武雄の情熱のみだ。
 茉莉にはないもの・・・。
 そう思うと、少し羨ましい気持ちになったりもしたが、茉莉には高野の顔があるので、許す事はできなかった。
 その割に冷静な気持ちで過ごす茉莉の元に、信じられたい案が持ち込まれるのである。
『武雄の代わりに、次期当主は歩が務めることになった。歩と茉莉とで婚儀を行う。』
 高野家は、そこまでして河田家とのつながりを欲しているのか。
 士族の流れをくみ、幾人もの議員を輩出した名家とはいえ、内実は苦しい状態にあった。 高野の名ばかりが先にたつ状況なのは、何となくだが、茉莉も感じ取ってはいた。
 勢いのあるのは、河田の方だった。
 だからか。
 顔を潰された上での提案を、易々と飲むことができたのか。
 それとも、結婚間際に許婚に逃げられた娘は、他に嫁にも出せないくらい外聞の悪いことなのか?
 河田と何度か話合いをもったらしい父が、ある晩上機嫌で帰ってきて、茉莉に言った話だった。
 歩との婚儀の件を、つつがなく執り行う旨を、決定事項として。
 とっさに返答できない茉莉に、高野の母は、静かな微笑みをたたえて、
「それは良かったわ。・・・歩くんの方が、茉莉と相性がいいと、私は思っていたもの。」
 なんて言葉まで飛び出して、ビックリしたが、武雄の時程に、拒否反応が出なかったのが正直なところ。
 顔がニンマリとなりそうになって、慌てて顔を引き締めたくらいだった。
 同時に・・・。
(・・・・歩が次期当主なんて・・。)
 河田の家は大丈夫だろうか。と思ってしまう。
 歩はどちらかと言えば、統領格ではないからだ。
 花を愛で、音楽を奏でる自由人の彼が、果たして河田グループを背負っていけるのだろうか。
 心配になってしまうほどだったが、皮肉にも歩に言った言葉が現実になってしまった。
 彼が当主となって、茉莉を娶る。
(河田の家を継ぐハメになって、怒っているかしら・・。)
 必死に冷静な風を装うとして、そんな事を考える茉莉なのだった。